毎日の、

独り言しか書きません。そういう風に決めたんです。断固として。

高校のオープンキャンパスへ。

某高等学校のオープンキャンパスに行ってきました。

 

僕らというか今の中学生がイメージするような高校と違いすぎてかなり衝撃。初めから珍しいところなのはわかっていたけど、実際に体験授業や講師の人達の講話を聞いて、実際に話してみると、体裁気にしたような言葉がほとんど聞かれなかった。

校風はがっつり自由目に振ってあるけども、礼節と義務を明確に。礼節といっても無駄に?先生を敬うとか先輩にはどうこうというのじゃなくて、人間同士の付き合いとしての最低限を話してた。誰とでも仲良くではなく、みんなには礼儀を、その中で気があう人を探して一緒に何かやりなさいというような。

あと、特に、ここ数年言われるコミュ力の話がグッときた。いかに自分が心を込めて話そうが、頭の中でしっかり考えていようが、相手に伝わらなかった時点でそれはコミュニケーションではないと。大人になるとそういう話を頭ではわかっているようだけどちゃんと言葉にして聞くことってあまりないように思う。

僕自身が通いたい。カタチばかりを押し付けられても納得いかなかった当時の僕に紹介してあげたい。

 

東浩紀が言ってた、ゆるく繋がるっていうのはほんと大事で、その場が嫌ならすぐ移動するっていうのじゃなくて、その場でのしのぎ方を変えていくような。仲良くならなくてもやる事やってりゃ何とかなるような。

 

あとは学費がなんとかなれば……。

僕以降に生まれた娘をはじめとする諸々の方々へ。

先生というのは「先」に「生」まれると書いて先生という。

先に生まれたからと言って何が優れているとかそういうことではなくて、それ故に経験せざることに失敗したこと、成功したことを見せる姿を「先生」というのではないかと思う。

反面教師でさえ先生なのである。その姿を見た経験を、生かすも殺すもそれは見た、観察した本人なのではないかと。

同じ風景を見て、それを後に生かす経験として吸収する人、笑い話にする人。様々な人がいると思う。で、先生は無様な姿を見せたとしても、輝かしい功績で尊敬を集めたとしても、それは先生とした役割をこなしているのではないかと。

しっかりと見て、観察して、判断してほしい。

君たちがこの先生きていくためのヒントを、俺たちおっさん、おばちゃんは作っていく。意図するところではなくても作っていく。

それをみて、どう思うか、何も思わないか。

 

しかし、その先生方は往々にして、君たちより先に死ぬ。いろいろあるかもしれないが、先に生まれるということは先に死ぬということだ。

その時は、君たちの出番だ。輝かしかったり、無様だったり。そういう姿を、後に続く奴らに見せてほしい。

 

その時、君たちの姿がかっこよくあるために僕らは居るのだ。

若いきみたちは、僕らよりも幸せにあるべきだ。

そうでないと俺らが報われない。

 

20年で得たもの・失ったもの

20年ぶりにホンダ モンキーを手に入れた。

組み上げた友達から何年も来てたラブコールにやっと答える決心がついて、とうとう買い取ることに。

 

今まで手に入れた思い入れのあるものもなんやかんやで手放して、手元にあるものの中では特に大切と言えるものがなくなってしまってた。モンキーに乗りながらそういう事を思い出してた。

 

18の時に買ったレスポールカスタム、21の時のホンダ モンキー、22のフェンダー ジャズマスター、飛んで37のフジゲン ムスタング

 

どれも無くなったからといって生活に困る事はなかった。だからこそ手に入れた時は、それはそれは浮かれた気分でも、手放した後も普通に生活してた。

 

今日もそう。

雨が降る中わざと遠回りして帰った。

大切にしなきゃとか、手放すと後悔するとかなんかもうアレな思い出。

 

大切なものを手放す時の理由がほぼ金欠だったって事が人としてどうかしてると思う。

 

 

 

四十にして迷子。めっちゃ迷子。

 

晴れたらツーリング行こう。後悔をリセットできるかもしれない。

個人事業主による労働組合?

https://sp.fnn.jp/posts/00047003HDK/201906281800_FNNjpeditorsroom_HDK

 

うん。社会構造がわかっていないという話。

個人事業主による労働組合が結成されたとしてその方向はどこへ向くのか。

個人事業主は仕事がくる(お客さん)の特定がされづらい。Uberで働こうが居酒屋を開こうがはたまた受注契約をしてほぼ子会社的なポジションを取るのは自由。自由であるからこそ保証は無く、大きくハネる可能性があるのだ。

 

勝手にUberを選んだりセブンアイをえらんでコンビニを作ったり、それはそれぞれの思惑があり、計算の上に成り立つものなのだ。

僕が一番近しい建築現場とスナックの店舗の話をさせてもらうと、やりたい事だけやり、やりたくないことはしない。そういう 緩い 働き方が許される反面、思うような成果が得られなかったり思った以上の売り上げ・利益が上がるのだ。

 

そこに労働組合などあってはならない。

 

その組合が訴える先はどこにあるのか。

 

買わない客が悪い、利潤の設定が低いフランチャイズ形態が悪い。

 

言い訳はいくらでも作れる。

 

お前ら、自分の自由だけ求めて他人に責任押し付けてんじゃないよ。

クソが。

 

 

登戸の人。

結構他人事に思えなくて。最後に死んでしまった死んで当然のおっさんは刺しながらも、刺した相手に生まれればもっと良い人生だったかもしれないとか思っていたんじゃないかと思うといたたまれない気持ちになる。50を過ぎてしまった彼はもう何者にもなれない、生きてしまった半世紀を取り戻す事もできないという大変過酷な余生を歩むはずだったので彼にとってはハッピーエンドだったのかもしれない。ちょうど昨晩。小比類巻貴之がボビーオロゴンの弟に負けた試合を見たところ。努力では覆せない、誰かが書いた既定路線のようなものを進むときは往々としてあって、そういうときは心を捨て、心を無に、粛々と時間が過ぎるのを待たなきゃいけない時間が人生にはあると思う。そんな時間が彼には50年ほどあったのではないか。希望は叶わず、努力も実らず、時間が肌をさするように過ぎていく。勝手な想像かもしれないがあながち間違ってもいないと思う。もし、彼が僕の想像とは違う人生を歩んでいなければ今回のような行動は起こさなかったはず。誰かの役に立つ生き方もできず誰にも迷惑をかけずに死ぬ事もできない。そんな生まれ持っての不良品に怒りを持つ事が出来なかった。例え被害者に子供がいようと。とても苦しくて悲しい。そんな事件だと思う。勝手な想像なのだけれど、そんな事を思った。夏を前にうかれるな。どうせ何もない。

さよならmixiとはっきり言えない理由

もう散々話尽くされて誰も興味が湧かなくなっただろうが敢えて書く。

海外発のSNSFacebookを皮切りとして日本中でユーザーを増やした遥か前、日本のその市場にはmixiという絶対王者がいた。しかし、海外の後発組の猛威に見るも無残に居場所を奪われてしまった。思い起こせばもともとサービススタートからこの雰囲気は充分に漂っていたように思う。twitterFacebookはどこそこの大学内から、ある企業の中から試験的にスタートではなく、ユーザーからの招待が無いと使えないクローズドなサービスだったのでどことなく閉塞感があったように感じられた。これはGoogle+も同じでそちらはサービス終了が発表されてしまっている。篠田麻里子ストーキングツールとして使っていた僕は結婚発表とともに本田翼に全振りしなければならないのでいささか心境慌ただしいことになってしまった。おこです。mixiだってさおりんゆっさゆっさでお世話になっていたのでウェブサイト全般は正義である。横道にそれてしまった。修正修正。mixiのきわめてインサイドな人付き合いはとても日本的だったと思う。マイミクにしか見えない日記、マイミクだけが流れてくるタイムライン。書かれた日記には一見さんお断りとでも書かれているかの如く同じメンバーからの書き込み。そして一人一人に返信されるやりとり。それは一見ムラ社会のように感じられるがほのぼのした関係性があったように思う。最近また話題に上がった炎上動画の人たちもmixiに挙げておけば悲惨なことにはならなかったんじゃないだろうか。友人、気の合う仲間たちだけで楽しめる動画になっていたのかもしれない。世界が広がるなんて自由なようで厳しいものだ。ある人が「自由とは孤独ということだ」と言っていたことを思い出す。動画ごときで世の中をさわがせてしまった方々、ご連絡ください。俺がmixiに招待します。

 

2020/10/04 追記。

mixiが終わったというけれど、少ないながらもユーザーはいて、お気に入りの誰かの書き込みをそっと待っているんだ。狭いけれども当人たちがそれぞれの楽しみ方をしていて、ある意味洗練された場所に見える時がある。ログインして、タイムラインを除いていると、確かにほかのSNSとは少し違うけれど、人と人のやり取りがある。どちらが優れているというものではなくて、ここにはここの良さがある。アカウントは依然と違っているけれど、しっかりとmixiは、ある。

バカッター・バカスタグラムでイタズラ再燃に思う結構深刻な将来。

セブンイレブンバーミヤンくら寿司などなど、若者によるイタズラ動画・画像の炎上騒ぎ。もう十年以上になるかもしれない「町のお蕎麦屋さん」で働く若者が当のお店を閉店に追い込むほど影響を与えた投稿は覚えている方も多いと思う。

今話題になっているのはインスタグラム上のサービス、ストーリーという機関と範囲が限定された投稿によるものと聞く。直接聞いたわけではないので事実は定かではないが、「友達を笑わせようとウケをねらってやった」とういう若者ならではの軽い気持ちから発生したもののようだ。ITが普及し、スマートフォンの台頭で情報の共有スピードに益々加速力がついた。恩恵を受けることも多いが残念なこともものすごいスピードで拡散していく。しかし今回話題になった投稿についてちょっと残念なことを感じてしまっている。

それは、投稿の理由が「友達を笑わせようとウケをねらってやった」ということと、限られた範囲の中での投稿に対する世間の反応だ。今の若者は多かれ少なかれ、こういった投稿で笑うヤツがいる・笑うであろうと思うヤツがいるということ。まことに残念。これらの投稿を見て面白いと思うセンスが誠に残念。動画を見た人の多くはニュースなどで流れてきたものだろう。どうだろう。笑いましたか?面白かったですか?

あまりにも若者と連呼するのは気恥ずかしい。少なくともその中に、あれを面白いという層がすくなからずいるのだ。「若者に人気のお笑い芸人」と呼ばれている人たちがいるなら、そういう方々に追悼の念があふれてしまう。そう、若者に評価されることが恥なのだ。面白いという感覚がちょっとアレなのだ。

そして拍車をかけるようにそれに反応してしまう人たち。本人特定などなかなかギークな人たちは今回ちょっと置いておきたい。(個人的には好みではあるが。)便乗して店舗にクレームを入れる人たち、労働者の賃金が低いせいだ云々と議論し高尚な自分と錯覚する人たち。ちがうんだ。そういうことじゃない。そういう反応がくだらない話題をエンタメの舞台にあげてしまっているのだ。今回のことで投稿者本人たちの人生が終わろうがそんなこと知ったことじゃない。関係ない。日々日常に上がる話題をこんなことに汚されたくないのだ。僕たちは毎日を豊かで楽しいものにしたい。労働に明け暮れ、些細なリラックスタイムにくだらない話が入り込むのが我慢ならないのだ。

 

 

 

と、こんなことを書く自分への盛大なブーメラン、どうですかね?

お酒を飲みながらwikipediaの感想を書く3~マクドナルド~

ja.wikipedia.org

はい。以前書いた 

suzuki-life.hatenablog.com

こともありますがマクドナルドのお話。小学生のころ「ハンバーガーなんて食事として食べる奴はどうかしてる」と国語教師に言われた経験がありますが、何分クソ田舎の生まれなのでハンバーガーショップなんて入ったことがありませんでした。食べたことがあったのはヤマザキパンの菓子パンみたいなハンバガーのみ。

www.yamazakipan.co.jp

んで、マクドナルド、ハンバーガーは楽しく食べるといいんじゃないかな?と思いながら書きます。


日本における「マクドナルド」名称・表記・発音の由来[編集]

日本向けの名称・表記・発音は『マクドナルド』である。

日本において設立準備時、"McDonald's" の英語圏における発音は『マクダーナルズ』と表現されていた(発音に関する詳細はマクドナルド#英語圏を参照)。しかし、日本マクドナルド初代社長の藤田田が、「『マクダーナルズ』では日本人には発音し辛く馴染まないから、日本語的に3・3の韻になるように」という理由と、看板にした時の字面とバランスを考慮した上で決定された。

日本における略称・通称・愛称[編集]

公式の略称・通称・愛称について、同社では設定していない[6]。しかし、消費者の間で自然と「マック」「マクド」といった呼称が生まれ、全国的には「マック」、近畿地方で「マクド」と呼ぶ人が多い傾向がある[6][7][8]。アイシェアが2008年に行ったインターネット調査(調査対象427人)によると「マクド」と呼ぶ割合は東日本が11.8%・西日本で52.3%、「マック」と呼ぶ割合は東日本で84.4%・西日本でも41.6%だった[9][10]。「マック」と「マクド」の境界線に関してはメディアでも何度か取り上げられ、2007年(平成19年)6月13日放送のTBS2時っチャオ!」では、米原平和堂店(滋賀県米原市、2013年に閉店)を境界線と紹介している(番組内で店員は「両方の愛称が混合して使用されている」と説明している)。ただ、近畿地方でも若い世代では「マック」派が増えているという[6]。同社では呼称を統一する意思はなく、従業員の間でも両方が使用されている[9]。同社は「ビッグマック」や「朝マック」など商品サービス名に「マック」を使用しているが、「(マックとマクドの)どちらもお客さまが親しみをもって呼んで頂いていることなので、正解というのはありません」と説明している[7]

全国紙の見出しなどでマクドナルドを省略して表記する際、通常は「マック」と表記するが、近畿地方向けの紙面では「マクド」に差し替えている場合がある。例えば2014年7月23日付の朝日新聞では、期限切れチキンナゲット問題を取り上げた際、東京本社版の見出しは「マック、ファミマ ナゲット販売中止」だったのに対し、大阪本社版(北陸・中国・四国地方向けは除く)では「マクド・ファミマ販売中止」としていた[11]

会社四季報では「マクド」や「マクドHD」と略している。また、証券会社でも、AppleMacintoshの様な、他の「マック」との混同を防ぐために「マクド」を用いることがある[7]

 

呼び名戦争はきのこたけのこ並みに激戦区ですが、関西圏に住んだことがないのでマクド呼びはあまり現実味がない僕です。ネタかと思っています。呼んでいる人がいれば申し訳ないですが。

 

余談ですが国単位でも様々な呼び名があるようです。

英語圏[編集]

英語圏では「McDonald's」と表記され、「マクドナルズ」(IPA [məkˈdɒnldz])や「ミクドナルズ」(IPA[mɪkˈdɒnldz])と発音される[17]

スラング(俗語)では、「アーチ」を意味する"The Golden Arches"(ザ・ゴールデン・アーチズ)や、"Mickey D's"(ミッキー・ディーズ)と呼ばれる。"The Golden Arches"という呼称は、看板の M のようにも見える、黄色い2つのアーチに起因する。オーストラリアスラングでは「Macca's(Macker's とも)」(マッカズ)、イギリススラングでは"Mackey-D's"(マッキー・ディーズ)と呼ばれる。~

 

あと、マイケルキートンのファウンダーという映画を見ると楽しいです。うん。楽しい食事は作れる。

https://www.youtube.com/watch?v=erU-4M1VxNc

https://www.youtube.com/watch?v=erU-4M1VxNc

 

~当初米国本社からは、アメリカと同様な郊外型の店舗で展開するよう指示があった(交通量の多い神奈川県茅ヶ崎市を希望したといわれる)。しかし、1号店として郊外でなく東京都中央区銀座にこだわったのは、「(開店当時は)銀座が流行の情報発信基地だ、銀座で話題になれば商売も必ず成功する」と踏んだ藤田の発案による。

また、1号店として三越にこだわったのも、交差点角という絶好の立地条件から。「ここしかない」と、藤田は三越まで直談判に行くが、当時藤田と掛け合った銀座店店長で後に社長となる岡田茂から、「三越の営業の邪魔にならぬよう、火曜日朝に開店できるなら出店してもらっても構わない」と無理難題を突き付けられる。当時、銀座三越は月曜日が定休日で、これは『日曜日の閉店時刻(18時)から火曜日の開店時刻(10時)までに、水周りを含め全ての作業を終わらせた上で開店させることができるなら出店を許可する』といった意味であった。

作業できる時間は実質40時間しかなかったが、どうしても銀座三越にこだわった藤田は、都内のとある空き地銀座三越の出店予定スペースを再現させ、作業員に何度も何度もシミュレーションさせた。最初は60時間近くかかったが、練度が上昇すると、仕舞いには39時間足らずで作業を終わらせることに成功した。~

 

一号店の超突貫工事は建築業に携わる僕にとってかなりびっくりしています。塗装やコンクリート、接着剤などオープンタイムはどうしていたのかすごく気になります。

 

価格破壊とデフレの勝ち組[編集]

1994年、「エブリディ、ロープライス」を宣伝文句に「バリューセット」を開始した。また、ハンバーガーセットとビッグマックセットを大幅に値下げした。その後、1995年ハンバーガーの価格を一気に値下げした。対抗上、これに追随して値下げをするファーストフードチェーンが続出し、価格破壊競争が起こった。

1995年為替が$1=80円近辺と急激な円高が発生し、牛肉ジャガイモなど原料の輸入コストが大幅に値下がり為替差益を享受できたことから、ハンバーガー単品の価格を創業当時の価格へ値下げしたが、円安推移に戻った事などから、後に従来の価格に戻された。

2000年(平成12年)2月14日、「平日半額キャンペーン」として、平日はハンバーガー・チーズバーガーを、同年9月よりフィレオフィッシュを値下げして販売することを開始した。それまで「若者の食事」と見做してハンバーガーを食べることに躊躇していた40代・50代が世の中の不景気で小遣いが減少する中「安くて手軽に食べられる」と、再びマクドナルドへ足を向けるようになり、2000年内でキャンペーン終了時期を明示したが、幾度か延長した。キャンペーンに成功したマクドナルドは2001年時点では「デフレ時代の勝ち組」ともてはやされるようになり、ジャスダック市場に株式上場を果たした。

同業他社の追随のみならず、2001年7月に吉野家が牛丼並盛を値下げするなど、マクドナルドの値下げは日本全国で連鎖的に価格破壊を引き起こし、平成不況下でのデフレ時代を象徴する言葉として「デフレバーガー」などの流行語が生まれた。~

 

北海道から出てきたばかりのころ、65円でハンバーガーを売っていたので、貧乏なフリーターだった僕らも食べる個数で武勇伝を語る遊びもできました。今ってこのころの倍くらいの値段なんじゃないですかね?単品で買うことがあまりないのでわからないですが。

 

~オーダー・商品提供システム[編集]

客のオーダーをパナソニック製のPOSで注文を受けリアルタイムでオーダー内容を指示・表示するシステムとなっており、ドリンク・厨房など各セクションにお客が注文したオーダーが表示され、その画面を見て調理を開始する「MADE FOR YOU」(メイドフォーユー)を導入している。オーダーを受けながら調理を開始するので、出来上がりまでの待ち時間が比較的短く済み、グリルオーダー(後述)にも対応できる柔軟性の高いシステムである。

商品提供のシステムは、1999年(平成11年)中までは多くの店舗が商品を作り置いて温蔵棚などにストックし、注文された後に商品をそこから取り出して販売する「ダイレクトオペレーション」(ストック方式)で、時間経過による味の劣化やハンバーガーを調理後10分で廃棄[73] する社内規定のため、予測誤りによる廃棄ロスなどの問題があったが、改善策として、注文を受けてからその都度高速調理(ただし、バーガー内部の肉類パティなどは焼いてストックし、チキンやフィッシュは揚げたものをストックしている)を行い完成した商品を提供するオーダーメイド方式の厨房システム「MADE FOR YOU」(メイドフォーユー)1999年(平成11年)中より順次導入し、2004年(平成16年)にほぼ全店へ導入[74][75][76]、2005年に導入完了しており[77]、食品廃棄物や廃棄ロスの低減を目指すとしている。これに関して平成14 (2002) 年版の環境白書に「環境及び資源の有効活用の両面での改善が進むことになります」との記述がある[78]。「MADE FOR YOU」のロゴは包装紙などにも表示されるようになった。それでも発生した食品廃棄物や製造過程で発生する食品廃材は回収し、肥料化飼料化する食品リサイクル活動を一部店舗にて行っている(前述)。~

 

作り置きを最低限で抑えつつスピードで勝負するのってむずかしいことだとおもうんですよね。牛丼と比べてオーダーから出てくるプロセスが段違いなので店員さん大変だろうなーと。

 

最後に

~サービス・接客[編集]

日本マクドナルドが、世界で最もサービスが良い」と、ウォール・ストリート・ジャーナルが評価している。その理由は「仕事中に、ため息を吐くスタッフはいないし、従業員同士の長々としたおしゃべりもない」と報じている[101]。世界から来日する顧客に配慮して、英語中国語など5か国語に対応したメニュー表を用意している店舗もある。~

これ。ディズニーのキャストと呼ばれる方々はアルバイトでもすごい、ちゃんとしてるといわれますが、マクドナルドの店員さんも立派なものだと思っています。いろんな人がいるのはわかりますが、感じのいい人が多い印象があります。個人的な経験かもしれませんが、とてもすごいこと。十分アミューズメントしてるなって思っています。

 

メニュー写真と実物違っていたり色々噂を聞いたりしますが、食事を楽しくしてくれるマクドナルドが大好きです。年に2回ぐらいしか行ってませんが。

 

 

 

不登校 ~とぅー~

以前書いた記事からの後日談になりますが、うちの娘、相変わらず不登校でございます。

 

担任の先生からは定期的に電話がかかってくるし、娘はネトゲとかやってる始末。だけど、ぼくは学校に行けとか言えないわけです。ここで俺が学校に行けだの勉強は大事だよとか言いたくないわけです。それを言ってしまうと娘の味方がいなくなってしまうようなきがしてて。年も親子ほど(親子です)違うし異性でもあるし。学校に行かない理由を聞くにも出物腫物なわけで。

それが娘のためになるとは言えないけど、学校に行けない理由が娘の今後に影響があるともわからないわけで。俺、四十にして迷いまくり。どないしよう。どげんかせんと。

 

俺、どうしたらいいんすかね?

 

建築(主にゼネコン様)に言われて絶句した事。

「想像とイメージが違う。作り直して欲しい。無償で。」

 

 

「追加工事がでました。これ、指示書ね。」→「追加工事の分ですが、あいにく予算が出ませんぜした。払えません。」

 

 

「まだ仕様が決まってないんだよね。確認中だ。」→「決まったので明日中に仕上げて欲しい。」

 

 

「この仕様でおねがいします。」→「誰がそんな指示出した?言った覚えはないぞ。」

 

 

「前業者が遅れたのでそれを取り戻して欲しい。工期は契約の半分で。だから人を倍用意して。」

 

 

「そんな事言ったっていまさらどうしようもないだろ。つくりかえろ。」

 

 

「部下ががどんな指示を出したのかは知らない。そんなもの払えるか。」

 

 

「金の話は後だ。とにかく現場を終わらせる事が先決だ。安心しろ。後で相談にのる。」→「は?初めから工期決まってただろ。そんな事いまさら言うなよ。」

 

 

「追加工事は次の現場で清算できる。今回は預かりにさせてくれ。次の現場もよろしく。」→

「追加工事は次の現場で清算できる。今回は預かりにさせてくれ。次の現場もよろしく。」→

「追加工事は次の現場で清算できる。今回は預かりにさせてくれ。次の現場もよろしく。」→

「追加工事は次の現場で清算できる。今回は預かりにさせてくれ。次の現場もよろしく。」

 

 

 

 

 

あのさ、「お客様は神様です。」って言葉があるじゃないですか。あれを客側が言う。それが建築業界。うん。殺意、湧くよ。

お酒を飲みながらwikipediaの感想を書く②~秋葉原通り魔事件~

ja.wikipedia.org

 

あまりポジティブじゃない話ですが、凶悪事件とされる事件の中で個人的に好きな・興味のある事件を取り上げます。大丈夫です。ちゃんと酔っぱらってます。

 

僕はシリアルキラーや性犯罪者、強盗殺人、怨恨からの殺人はあまり興味をもって触れることはないです。非リア充、失うものを持っていない「最強の人」であるこういう事件にちょっと惹かれるものを感じます。不謹慎なのはわかっております。被害者本人や親族の方々はあまり読まない方がいいと思います。

 

でも、僕は親族でもなければ当事者・被害者でもありません。なのでちょっと客観視できてしまうのです。これを読んだ方もほとんどがそういう人ではないでしょうか。

 

人の闇に触れる、内側に触れるということはちょっと興味深くないですかね?そうでもないですか?

 

秋葉原通り魔事件(あきはばら とおりまじけん、英語Akihabara massacre)とは、2008年平成20年)6月8日東京都千代田区外神田秋葉原)で発生した通り魔殺傷事件。7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)した。マスメディアや本件に言及した書籍においては秋葉原無差別殺傷事件と呼ばれることが多い[6]。~

 

「無差別」「通り魔」防ぐことが難しく、どこでいつ発生するかわからない。それだけで畏怖する感情が増幅されます。ですが、この加藤智弘氏は珍しい方ではないと思います。うん、いつギアが入るかわからないってことでしょうか。

 

~事件概要[編集]

犯行現場となった中央通り(事件2時間後の様子)
犯行に使われたトラック
(フロントガラスが破損している)
加藤が警察官に取り押さえられた現場
(写真中の建物は現在のクラブセガ秋葉原新館)

2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員加藤 智大(かとう ともひろ、1982年9月28日[1] - 、犯行当時25歳)の運転する2トントラック(いすゞ・エルフ)が西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。

このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシー接触して停車。周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を、所持していたダガーで立て続けに殺傷した[注 1]

さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの警視庁万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し距離を詰めたところ、防護服を斬り付けられるなど命の危険に晒されるも、警棒で加藤の側頭部を殴りつけるなどして応戦し、最後には拳銃銃口を加藤に対して向け、武器を捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲することを通告した。それに応じダガーを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店(現・クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕した[8][9]。これらはおよそ5 - 10分ほどの間の出来事だった。

警視庁捜査一課・万世橋署は6月10日、加藤を東京地方検察庁に送検、同地検は7月7日、加藤の精神鑑定のため、東京地方裁判所鑑定留置を請求し認められた[注 2]。留置期限の10月6日までに、「刑事責任能力がある」という結論が出されている[10]。~

 

またまた不謹慎ですが、この当時の加藤氏の心境を考えると、「恐怖と不安、安心と達成感」があったのではないかと思います。僕は本人ではないので間違ってるかもしれませんが。人間関係で悩み、悶々とした生活を続けていた加藤氏。対人でメッセージを伝え、受け止めるコミュニケーションをとれる喜びと罪悪感・恐怖からの葛藤、さまざまな感情の中にあった加藤氏。

警察に確保されるという敗北で終わりましたが、この場にいた彼は間違いなく「最強」の状態であっただろうと思います。

 

 

うん、なんか書いているうちにつらくなってきたのでこのあたりで失礼します。

お酒を飲みながらwikipediaの感想を書く①~松屋フーズ~

~株式会社松屋フーズ(まつやフーズ、英称Matsuya Foods Company, Limited)は、牛丼牛めし)・カレー定食などを販売する「松屋」などの飲食店をチェーン展開している企業。~

 

はい。「あなたの食卓でありたい」という願望に満ち溢れた松屋のお話。

僕が北海道から東京に出てきたのは、まさに牛丼(松屋は 牛 め し ですからね)価格戦争の前夜、280円という予告ののぼりが立っている頃でした。280円だと思って券売機の前で躊躇したのはまだウブな好青年でした。うん。

 

~この店がなかなか軌道に乗らなかったこと、商店街で商売を試してみたかったこと、専門誌で紹介されていた「何時屋」の「ぶっかけ」という牛めしに衝撃を受けたこと、そしてすでに牛丼チェーン販売をしていた吉野家の味に感銘を受けたことなどにより、瓦葺が牛丼の研究を重ねて独自の味を完成させ[1]1968年(昭和43年)6月に江古田牛めし・焼肉定食店としての「松屋」を開店させた。これは2011年平成23年)現在の江古田店であり、これが1号店として数えられる。~

 

そう。今でこそ三鷹駅の前に自社ビルを構えておりますが、江古田が一号店。本社は当初、下石神井にあり、練馬に住んでいた僕はパイオニアである𠮷野家を知っていながら松屋フリークを自称しておりました。一週間で全食松屋に行けるか?というのを検証し、日曜日の寝坊がたたりブランチ松屋を決めてしまった為、20食という残念な結果に終わったことを思い出します。このころ一緒に働いていたNSR250にまたがりピースボートで世界を周った経験がある長野出身のサトウタケルという男が「松屋のカウンターの向こう側からどんぶりと一緒にα波が出てきますよね」というキラーワードを放ったことを思い出す。やべぇやつか。

 

同業の他社チェーンと比較し、牛めし以外のカレーライスや定食などの比率が高いのが特徴である。これは1号店の江古田店近辺は学校が多いことから昼間は学生で賑わい、ベッドタウンでもあることから夜は独身サラリーマンが戻ってくるという当時の土地柄を考慮し、学生層向けの牛めしだけではなく独身サラリーマン層向けには定食とカレーが必要と考え、「牛めし」「定食」「カレー」の三本柱でメニューを構成することになり、その後の展開においてもこの方針を維持している。~

 

江古田の一号店の前身であった「中華飯店 松屋」のころからカレーを大切なメニューとしていたらしく、松屋のカレーは評判が良い。

oggi.jp

icotto.jp

hbol.jp

正直、カレー屋を名乗る店で1000~1500円位のカレーより松屋のカレーの方が間違いがない。味なんて所詮個人の好みでしかないのだろうけど、松屋のカレーをうまいとする情報は腐るほど出てくる。

 

ロゴマークは当初、社員の家族が考えた丼を持っている牛(通称:牛ちゃん)だった。会社が大きくなってきたのでデザイナーに依頼し、盆に乗せられた丼と味噌汁椀をモチーフとしたものになった。これは、丼・カレーに味噌汁が付く松屋の特色を表したものである。~

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松屋渾身のロゴ

気にしない方々にとってはどうでもいいだろうが、あの謎の水玉はこれである。僕の持論として、大手牛丼(松屋は 牛 め し ね)チェーン3つ、𠮷野家、すき家松屋をあらわすときに、𠮷野家=牛丼屋、すき家=変態牛丼屋、松屋=みそ汁屋(カレー屋)が真理だと思っております。

 

2015年頃より、「松屋」の出店数が減少に転じているのに対し、第二の主力業態としてとんかつ店「松乃家」の出店を加速させている。低価格のとんかつ店チェーンは他に「かつや」(アークランドサービス)がある程度で競合が少ないことに加え、既存の「松屋」店舗の近所に好条件の物件が見つかった際に「同じブランドの店舗は出しにくい」という事情もあるという。~

 

これ、松屋が牛丼(松屋は 牛 め し ね)チェーンとして異常なのかもしくはポテンシャルがあるのか、松乃家がすごい。松屋として定食メニューを充実させているだけあって、とんかつ店でのメニューがぱない。うまい。なぜがチキンカツのメニューが突出してうまい(うまい)。

 

上述のように松屋では一般的な店で言うところの牛丼を牛めしと称している。また、豚丼豚めし、あいがけをカレギュウ、サラダを生野菜と呼ぶ。~

 

素直になれよ。

 

2014年7月22日より関東の1都6県を中心に「プレミアム牛めし」と称する牛めしを販売している[7]。従来の牛めしより価格を90円 - 130円高くし、従来の牛めしは冷凍牛肉を使用していたのに対しチルド牛肉を使用するなど高級路線に走った。一方で「プレミアム牛めし」販売店では従来の牛めしは販売終了したため「実質的な値上げ」との評価もある。~

 

スタンダードはないのにプレミアムとは?

素直になれよ。

 

松屋の店舗が江古田のみだった黎明期、吉野家と肉などの材料の卸を共有していた時期がある。これは瓦葺社長が偶然立ち寄った吉野家の味に感激し、研究も兼ねて通い詰めるようになった結果、吉野家のスタッフと顔見知りになったことによる。当時の吉野家は築地の1店舗のみを経営していたが、新橋に2号店を出す際に瓦葺を役員として誘ったものの瓦葺は恐れ多いと丁寧に辞退。これを期に独自の味を探索するようになった。~

 

これ、ちょっとかっこいい話なんだけど、ここで吉牛に懐柔されていたらすき家も牛丼(松屋は 牛 め し ね)価格戦争はなかったのかもしれない。(誰か牛丼太郎のことも思い出してください。)

 

店員に直接注文せず、店入り口の近くにある自動券売機食券を購入するシステムを採用している。現金を直接触らないように考えていることが理由で、強盗対策にも一役買っている。ただし、厨房内にもレジを設けており、店内で直接店員に申し出て代金を支払い追加注文することは可能である。~

 

𠮷野家が心を込めた接客を志して券売機を使わないのに対して、衛生面で硬貨紙幣に触れない松屋。ポリシーとポリシーのぶつかり合い。正義の反対派もう一方の正義。

 

 

 

 

うん。初回なのでつたない駄文。最後まで読んでくれた方、ありがとう。結婚してくれ。

機嫌が悪そうに話すと伝わる事も伝わらないですよって話

電話や対面での会話って話す内容よりその時の表情、声色での雰囲気のによって伝わりやすさが変わるような気がしてます。

話してる内容がネガティブでも、表情や話し方がポジティブだとそんなに深刻に聴こえなかったりします。性格が明るい人が徳をしたり、いい結果を出すというのはこういった理由だったり。

厳しい状況で人に仕事を頼む時とか、無理を押し付けるような時は出来るだけ明るく話すと、受けら相手の結果にわずかながらいい影響を与える気がします。人はプレッシャーに弱く萎縮してしまうので出来るだけリラックスした状態の方がポテンシャルを発揮できるような気がします。病は気からじゃないですが、心の状態が動きや頭の回転に影響を与えるのはよくある事。なのでしっかり寝てしっかり食べて余裕を持った状態で事に挑むっていうのは結構大切な事だと思ってます。

テレビや雑誌でよくいう「理想の上司」っていうのはその人が仕事を知っているとか実力があるっていう理由じゃなく、人に威圧感を与えない人が選ばれているんじゃないかなと。指示は半ば適当でもよかったりします。ツボをある程度押さえてあとは自由にやっとくれ。的な。

ってな事を考えてるうちに日付変わってさあ大変。

 

あなたの上司かいい人だといいなと思います。

 

どすか?

論破力 (朝日新書)ひろゆき著

読んだです。

発売してからなかなか立ってしまっているので今更感満載なのですがちょっと書きます。

書評とか読むのは好きなのですが書いたことはほぼないです。

書評って本を選ぶ判断のひとつになってしまいそうなのでちょっと怖いんですよね。

参考になるならないにしろなにかしらの影響が出てしまいそうで。でもここなら大丈夫。誰も見ていないので。

ひろゆきさんとか堀江貴文さん、津田大介さんの本って何となく手に取ってしまうのです。基本、小説を読まなくて、事実とか何かの感想が書いてある本が好きです。何となく人の考え方に触れられるような気がしているので、本を選ぶ指標というか基準になっている方々です。

 

んで、今回の論破力。タイトル的に手に取るにちょっと抵抗を感じながら買いました。今回はamazonとかじゃなく書店で買いました。

でもやっぱり読んでよかった。突飛な考え方、発想を持っている人の本はやっぱり面白い。事実にめっちゃ即したファンタジーが読める。書いてあることに間違いはないけどちょっと実践難しい。てか、無理。いつものことながらそんなことが書いてあります。

今まで出してきた本と今回ちょっと違うのが、「人と接するときの本」ということ。仕事をはじめとして、人との間に何かを進ませようとするときの立ち振る舞い。参考にはならないけど、この人はそう考えてるんだなっていう内容。ネタバレとかアレだし酔ってるし文才ないからこのへんでまとめ。

 

「このひとってこう考えるんだ。へー。」

 

 

論破力 (朝日新書)

論破力 (朝日新書)

 

 

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