毎日の、

独り言しか書きません。そういう風に決めたんです。断固として。

脳を使わずに書く~ブレスト~

セブンイレブンピリ辛つぶせんを片手に戦っていこうと思う。

 

副業やらやらなきゃいけないこと、やりたいことを抱えた土曜日が終わろうとしている。

結局、今日も有意義に時間を使えなかったと後悔するもそんな日を何年も繰り返し、反省やカイゼンをしないままそろそろ45歳になる目前の今日この頃。

何かを成し遂げようとするというには若干、気力体力が足りないのか、性格的に努力ができないのかはわからないけれど、できなかった、やりたかったを抱えてこれなら持生きていくことになるんだと思う。

人生100年というならまだ半分残っているといえるしもう半分過ぎたと思う。これは気の持ちようとかではなくて何かをこなした・達成したかどうかで感じ方が変わる。

僕は前者で自分の思うなにかを達成、こなしたと感じたことはいままで一度もない。

たぶん自分を高く見積もっている方なのでこの感情は一生付きまとうし満ち足りたと思えることはこれならも一生ないだろう。

これは割と不幸に思えることだとは感じるけれど、この感情が消えると同時に向上心はなくなってしまうんじゃないかと思うことがある。

達成できない目標は不幸の象徴で、人生においてこれほど邪魔なものはない。向上心は人間の心理的健康の敵だと思う。

足りないことに気づいてそれを補充しようとするけれど、簡単に手に入るものはそもそも欲することはない。ないから欲しい。でも手に入らない。

怠惰な生き方に何も思わない、気にならないということは最高の幸せだ。

よく言う「足るを知る」的な感じで生きていられれば幸せなのだけれど、それでは全く成長することはない。

 

そう、成長を求めることは不幸の始まりで、今日と同じ明日を過ごし、惰性で生きていられることは最高の幸せなのであると思う。

 

ここからミニストップのつぶピーとバーリアルに持ち替える。

 

人生とは割とあきらめるポイントをうまく見つけることにある気がする。

こう書くとあきらめるというネガティブな言葉が崇高なものに昇華できる。

物は考え様というけれど、考え方次第で180度方向が変わってしまう曖昧な日本語に何の意味があるのか。

モニターに向かい、タイピングするこの時間に何の意味があるのか。

これを考えないことが幸せで何も思わないことが絶頂。かしこ。

 

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