毎日の、

独り言しか書きません。そういう風に決めたんです。断固として。

地球上に現存する生き物の中で最もかわいらしいとされる生き物の話。

これはうちの娘の話なのだけれども、こういった話を書く人って、対象であるその子供は幼稚園児とかそれくらいの年代が多い。

うん。それはしょうがない。

でも、今回というか、僕が書いているタイトルの対象は、今年で高校生になりました。

レアケースです。思春期やら反抗期的なものがあると思うのですが、

 
残念、僕にはそういう体験が無いので都市伝説のようにリアリティーがないものになります。

そういうものに対して僕には遠い存在になります。

かわいらしいというもの、対象についていろいろ解釈があるとは思いますが、それは人それぞれ。

であれば、僕の解釈だってまた正しいといえるでしょう。

 

出会いは、そこそこ過去になります。だって15年ほど昔の話になりますし。

そのころは履き古したジーンズをソファーに投げ出した時のようなこじんまりした存在だったわけで。

小さく、儚い。弱くて、寄り添わなければ、あっという間に無くなってしまいそうな。そんな存在でした。

立つことを覚え、歩き、自分の欲求を伝えるようになり、十余年経った今では秘密を持つようになった。自我が芽生え、それが発育し、僕の観測範囲外に何かを持つことになった。とても喜ばしい。

成長というのは得てして離れることだと思っていて、守破離のように、いつか僕たち大人が示してきた過去に正しかったであろう未来や進むべき、進みたい道を覆していくもの。成長。すごい。そこに予想などなく、事実の積み重ね、その事実のズレが未来として予想されたものを塗り替えていくもの。エモい。

 

最近はっきりと見えてうれしかったのが、先ほど書いた秘密。僕が近づくとラップトップを閉じる。これ、大事。一人の人間として、親の範疇以外に自分の何かを持ったという事。

 

小喜び。小躍り。

 

自分がそうであったように、そういう意思決定を持ち、また、数年内に僕から放て行く準備になる。

延々と親にすがるようなそんなのは嫌だ。

知人に、「よくわからない男を連れてきたらどうする?」的なことを言われたことがある。申し訳ないが、連れてくる男が俺の良く知っている男だったらもっとショックだろう。知らなくて当たり前なのだ。

僕は自分の意志で人を選んだことに喜ぶ半面、そいつとの仲がダメになった時を想定するかもしれない。出て行った娘の、万が一の買える場所を、逃げられる場所を用意するのだと思う。逃げ場所があれば関係性を考える余裕ができるはず。そんなことを考える。

 

離れていくことは寂しい。だけれども、誰にも必要とされないまま一人で過ごす娘の方がもっと嫌だ。

 

こんなことを書いてはいるけれど、恋人ができたらちょっと反対してみよう。娘のイエスマンであってはならんのだから。父親がめんどくさいとか、友達とコイバナでもすればいい。どうせ俺にはわからん話だ。そういう役目はほかに用意しておいてほしい。

 

僕みたいな人間の子として生まれてしまったけど、めちゃめちゃ幸せになってほしい。

そして、そんな人生のお手伝いができれば、僕はうれしい。

 

 

 

Copyright ©あなたのブログ名 All rights reserved.

プライバシーポリシー