「知っている」と「わかっている」 「思う」と「考える」 っていう話。
ちょっと概念的なところで申し訳ない。
昔から気になっていることで、「知っている」と「わかっている」、「思う」と「考える」この違いがとても大きく違っていて、ものすごく大切なことだと思っている。
まず、「知っている」
空が青いという事を知っている、郵便局の場所を知っている。
これは空を見て青く見えた。だから空は青い。
郵便局の前とを通った。そこに郵便局がある。
これが「知っている」という事。
経験や実際に感じたこと。表面的に見て、感じたこと。
そこに何かの努力や掘り下げはなくて、ただそういう情報を感じた、浴びたという事。
「わかっている」という事
「知っている」から掘り下げや考察、確認を経て「わかる」に変わる。
空が青い理由を知ってる。
郵便局がそこにある理由を知っている。
これが「わかる」という事。
実感として得たことを調べたり、なぜ?やどうして?の疑問の先に「わかっている」がある。
「知っている」から大きく踏み込んで、裏付け・バックグラウンドを知ってはじめて「わかる」に落とし込める。
受動的にも物事を感じるのが「知っている」で、能動的に物事を見るのが「わかってる」になる。
「思う」という事
何かを見て感想を持つ。これが「思う」。
感想なので本質というより、受けた本人の要素の方が多い。
ほんと感想。そこに何か得るものはあまりなくて、正しいわけでもない。
「考える」という行動。
これは「知っている」と「思う」の先にあるんだと思っている。
知って、思って、掘り下げる。それが考えるという事。
わりとこのプロセスをないがしろにしている人は多いと思う。
わからないことがあった時に、自分で調べる前に人に聞く。物を探す前に人に聞く。
うん。脳を使った形跡がない人はいるよね。
知る、思う。考えてわかるっていう流れは文字にしているとわかりそうなんだけれど、実際にやっていないと+、「思う」と「考える」この違いがとても大きく違っていて、ものすごく大切なことだと思っている。
まず、「知っている」
空が青いという事を知っている、郵便局の場所を知っている。
これは空を見て青く見えた。だから空は青い。
郵便局の前とを通った。そこに郵便局がある。
これが「知っている」という事。
経験や実際に感じたこと。表面的に見て、感じたこと。
そこに何かの努力や掘り下げはなくて、ただそういう情報を感じた、浴びたという事。
「わかっている」という事
「知っている」から掘り下げや考察、確認を経て「わかる」に変わる。
空が青い理由を知ってる。
郵便局がそこにある理由を知っている。
これが「わかる」という事。
実感として得たことを調べたり、なぜ?やどうして?の疑問の先に「わかっている」がある。
「知っている」から大きく踏み込んで、裏付け・バックグラウンドを知ってはじめて「わかる」に落とし込める。
受動的にも物事を感じるのが「知っている」で、能動的に物事を見るのが「わかってる」になる。
「思う」という事
何かを見て感想を持つ。これが「思う」。
感想なので本質というより、受けた本人の要素の方が多い。
ほんと感想。そこに何か得るものはあまりなくて、正しいわけでもない。
「考える」という行動。
これは「知っている」と「思う」の先にあるんだと思っている。
知って、思って、掘り下げる。それが考えるという事。
わりとこのプロセスをないがしろにしている人は多いと思う。
わからないことがあった時に、自分で調べる前に人に聞く。物を探す前に人に聞く。
うん。脳を使った形跡がない人はいるよね。
知る、思う。考えてわかるっていう流れは文字にしているとわかりそうなんだけれど、実際にやっていないと周囲からバレバレ。この癖が治らないとちょっとアレな人生になってしまうと思う。
同じことをしていても伸びる人とそうでない人
まったく同じ経験を積んだとしても結果としての成長が違うのはそういうところなんだと思う。
始める前に考える→実際にやってみる→結果を踏まえて振り返る
この手順だけで経験は3倍になってしまう。
吸収が速い人はそういうところが違うのだと思う。
実際の経験+計画と反省が加わえると人は劇的に変わる。
発想の違いやセンスは覆せないけれど、努力が無駄にならない。
少しのことの積み重ねが大きく人を成長させるんだなって思う。のです。