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「傷つかない心」の危うさ 小野ほりでい note

 

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誰もが強くなりたい。それはそうだ。幼少のころにはヒーローに憧れ、悠然とステージに立つミュージシャン、俳優に憧れ、頼れる上司や先輩に憧れる。自分もああなりたい。そういう感情は誰にでも、いつでもあると思う。

しかし、その尊敬の対象である彼らでさえ無敵ではなく、絶対ではない。

少しづつ経験を積み、時間をかけた結果として目の前に立っている。それは強さの証ではなく、結果としてそこにいる。

僕たちは、あこがれの対象である、目の前にいるそれを補足し、絶対的な何かであるように解釈する。万能であるかのように。

 

かけてきた時間や手順を伏せ、初めからそうであったように錯覚し、補正をかけ膨張させる。憧れと劣等感を。

 

そもそも個体として違っていて、同じ手順を踏んだところで憧れは越えられない。できることとやりたいことをはき違え、とるべき手段を見誤る。もっとああなりたい。今のままではいけない。はき違えをこじらして同じ手順で同じ結果を得ようとする。無理をかける。無理がかかっていることを無視し始める。

 

嫌なことは嫌だといった方がいい。気にならなければそれは理想であるけれども、その理想は今現在ではただの妄想だ。

他人の言葉が気にならないなら、そもそも、言語など覚えないはず。誰かと会話し、感情を動かす。それが自分にとって良いに方向だけと考えるのは無理があるのではないだろうか?良い言葉と良い反応にしか感情が動かないなんて不自然ではないだろうか?

 

傷つかない人は傷なんて言葉は口にしない。批判する人を気にしないなら、その人のことを言葉にすることはない。そうでないなら十分気にしている証拠だ。

弱っていることはかっこ悪いことじゃない。バイオリズムがあるから絶好調は訪れる。

 

危険を察知することは自己防衛。気づかなければ即死だ。

 

死ぬこと以外はかすり傷。かすり傷から破傷風になっちゃった人もいる。

 

 

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