毎日の、

独り言しか書きません。そういう風に決めたんです。断固として。

ピラミッドとか作っていた奴隷って実は現代のサラリーマンなんじゃないの?っていう話。

奴隷に限らず、悪い言葉っていうのはどんどん過剰な意味としてとらわれがち。

いい言葉もそれで、一時期はやったカリスマっていう言葉が分かりやすい。カリスマって言う言葉もなんだか単位というか数字的な意味合いのない言葉。ストレートに言うなら、「カリスマと言えばそれはカリスマである。」みたいな。トートロジー

 

んで、奴隷みたいな言葉もそれで、「奴隷というのは下。下っぽく見える人間を奴隷という。」的な使い方をしている人が多いと思うんだよね。

でも実際は、変に拘束されたりどこかに閉じ込められている人ではなくて、単なる労働者階級を指した言葉な側面もあるんだよね。

奴隷の記録というか、残っている話を見ていると、二日酔いで休んだだの支給されたパンがよくなかったとか、どうでもいい事が書かれていたりする。どうでもいい事を言える権利があったんだと思う。

いま、お給料を得て生きているサラリーマンもtwitterやface bookみたいなSNSでどうでもいい画像やどうでもいいテキストで云々しているわけなんだよね。ほんと、昼飯なに食ったとかどうでもいい。でもその写真のラーメンは食ってみたい。そんな感じ。

 

割と、世界を変えていくような偉人は一握りというか、握ることすらできないほど少数。この世に生まれた人たち一切合切がうんこ製造機。食って、出し、寝る。ほぼほぼ生きていることに意味のない生命体。

 

大勢の人たちに価値はない。だからと言って、存在意義がないというわけではない。朝起きて、どこかへ行って何かをする。結果褒められたり怒られたりするけど、そこに注目したところで何も意味がない。生きることに価値を見出そうということ自体に価値がないのかもしれない。

 

僕が今、一番たべたくて、すこぶるうまいと思えるものは、ファミマの鯖おにぎりだ。110円(税別)。これはね、落ち込んだり、気分をリセットしたいときに食べると、グーです。

 

いくら奴隷であろうと、パンが良ければ一日幸せ。完全勝利。生きてるだけでオッケー。

以前に、twitterで見かけた、

 

「どんなにつらいことがあったって、ご飯がおいしければ笑うよ。」

 

っていう言葉。当時は割と私生活が調子のいい時期だったので、なにも思わずスルーしていた。なんか、イイネ!とかしてた。当時ならfavだったか。

最近になって沁みるようになってきた。年を取ったのかな?

ごはん おいしい みたいなことってお金や経験、実績では得られないもののように思えてきた。

高価であればおいしいわけではないので、食べるタイミングや、一緒に食べる相手で変わることもある。

 

仕事終わりのチューハイがうまいのであれば、奴隷であろうと幸福なんじゃないのだろうかね?

 

ね?

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