本能が本能を変えるっていう話。
ちょっと気持ち悪くて大嫌いなのだけど、僕らおっさんは家庭の話とか子供がナントカ奥さんがナントカとか言う世間話をする。話題がないのだ。
ほんと、大嫌い。
うちには、地球上に現存する生物の中で最もかわいらしいのではないかという仮説のある娘がいる。調査、検証はただいま進行中であるのでまだ「説」の域は脱していないけれど、いずれ明らかになると思う。
さておき、その地球上に現存する生物の中で最もかわいらしいのではないかという仮説のある娘(以下、娘)が割とお年頃であるので、周囲のおっさんからはされなりの気持ちが悪い話をされる。
そういう時にはしっかり嫌な顔をして嫌悪感を全身で表すことにしているのだけれど、そういう話をする輩は毎度毎度同じような話をする。僕相手ではなくても。
僕も若かりし頃は女子高生ないし、女子中学生に恋心を抱いたり、いかがわしいことを考えたりはした。ごめんなさい。しかし、それは自分がそれくらいの年頃のころ。
自分より年の離れた相手にそういう考えを抱く気持ちはわかる。僕はハタチくらいのころ、30歳くらいのお姉さんに淡い気持ちがあった。懐かしい。なんだか頼れる感じがするけれどとても線の細いきれいな方だった。
ただの好みなのだと思うけれど、生き物として幼い歳にそういう気持ちをもつ感覚が分からない。
感覚の問題なのでこれは全くの偏見で、正しいものなのか、正常なものなのかはわからないし、僕の気持ちが正しい保証は全くない。
この感覚が、子供ができたあたりでさらに強くなったように思う。
そして、タイトルにある「本能が本能を変える」と思ったのは、同僚のおっさんに子供ができて、若干発言がかわったのを感じたからだ。
父性が芽生えた事で小さい子供を守る気持ちが強くなった。そして、うちの娘に対して性的なことより、自分の子供と比べるようになった。
食欲が満たされると、自然と眠くなるように。
もしかしたら、僕もうちの娘がいなければかつての彼や周りのおっさんのように、幼い女の子にそんな気持ちをもっていたのかもしれない。
「大人になるって言う事は、子供でいられなくなったからだ」という言葉を思い出す。
子供ができて、育てていく中で、僕らは自分の「子供」に「大人」になるよう育てられる。教えることは教わることって言うように、僕らは子供を育てる過程で大人になっていくのかもしれない。
2021/8/4追記
久々に読み返すと、僕は女子大生すら幼いと思っていることが発覚した。びつくり。