動画編集が楽しいけれど進捗がアレ。って言う話。
そろそろひと月たってしまいそうな奥多摩プチツーリング。適当に撮った動画を編集してぽちぽち編集しているんだけど、楽しい割に進みが悪い。一日に作業できるのが一時間あればいい方なので当たり前なのだけれど、僕には他にやらなければならない事がある。やりたい事とやらなゃならない事のバランスがめっちゃ悪くてどうにもムツカシイ。多分、ここから数年はハマり続けるだろうけどこんなことをしていていいのかわからなくもなる。やっている事は趣味でしかなくて、アップロードしたところで自分たち当事者しかよろこばない。趣味オブ趣味。ほぼ貰い物ではあるけど機材が揃ったのでこのままのんびり続けるのはできる。誰も見ていない動画をあげつづけて無駄に編集作業に没頭するのだ。これはこれでよい。うん。多分そう。間違えてはいない。はず。寝る。
雑記はここで書くと言われたので。っていう話。
あまりにも、あまりにも各時間が少ないと感じてきて困っている。
さあどうするかといわれていても僕にはどうすることもできない。
最近はSEOの勉強とYoutube動画をあげることで何かしらやっている感を得て自己発電的な行為にいそしんでいた。だけれども僕はこんなことをやりたかったことではなくて、収益、そう収益が欲しかったんだ。ここのはてなブログですら収益を得ようとプレミアム?登録っていうの?そういうのをして収益を得ようとしたんだけれども僕のブログなんかに人が来ることなんてなかった。酔っているのはわかっている。だからここで無駄にタイピング練習のようなことを書いていければ満足ではないけれど何かしらの達成感はあるのだ。ほぼ毎日アクセス数をチェックしているし、アドセンスやサチコもそこそこ触っている。なんでアクセスがないのか。収益が出ないのか。わからん。誰もがそういう風に頑張っている環境で頭一つ出た人はお金が手に入るのだけれど、僕はそれが欲しい。最近アドセンスで数円の数字があげったのはうれしかった。それが自演だったんじゃないかと思ったりするけれど、ちゃんとした収益だと信じたい。信じられなければ多分終わる。いや、確実に終わるんだ。でも負いたい気持ちがあるのでとりあえず追っていこうと思う。これが「頑張る」ということなのかは全くわからないけれど。
google adsenseの合格通知で小躍りした。って言う話。
いや、だったらこんなところに書いてもしょうがないだろって言われればそれまでなんだけれど、見出しも何も考えずにただ書き殴る場所はまだ僕には必要なのです。なんとかバランスを取れそうな気がして。実はブログの戦略や何かに少し困っているところで、僕はただ書き殴ってしまう、粗悪なエッセイみたいなものがやりたかったんだ。アメブロとかmixiで書いていたあの頃のように。だけれどもAdSenseに通ったと言うことは収益化に少し近づいたと言う事なのでそれはそれで嬉しいわけで。リライトもせず、誰にも必要とされない、この場所も僕にとっては価値がある。商店を開いて何かを提供するのじゃなく、寝室やトイレのような誰もいない狭い空間も持っている方が性に合っている。そして、割とキーボードで書きたい。そんなことを考えて今日も眠れない。なう。
yakin! yakin! yakin! (夜勤)
恒例の夜勤。
なぜかいつも夜勤メンバーの名簿に僕の名前がある。ほんとになぜだろう?
この現場が始まる当初からうちの会社の担当は僕だったけれど、ここに限らず夜勤と言えばスズキ。スズキと言えば夜勤。
夜に動くのはいいとして、当然ながら昼の仕事も動いている。なので昨日は途中休憩を挟みながらではあれ通しの16時間勤務。あつまれ!労基のひと。
弊社に僕と同じような施工管理ポジションは他にもいて、それぞれ現場を受け持っているのだけれど、ここのようにスクランブルが発生するところに限って僕が担当している。なぜだ。
仕事が軽かろうと夜間作業は本能に反する。
人は夜動くようにはできていない。体の仕組みがそうなってはいないのだ。
本能にはあらがえない。
警備員さんやタクシー運転手など、夜間業務がデフォルトな人たちにはほんとに頭が上がらない。さぞ過酷なものなんだと思う。
金額の面でどうにかなったとしても、不健康でいた時間はお金で買うことはできない。
若いうちに無理をして取り返しがつかなくなってしまった人たちもいるんだと思う。
若い人は職業選択を間違えないようにとくれぐれも気を付けていただきたい。
アレな役割がまわってきやすい人は存在する。
(僕なりにちゃんと)YouTube、はじめました。って言う話。
YouTubeを始めたというより再開したと言う方が正しいかもしれない。
アカウント作って、動画をあげてって言うだけならもう7年くらい前からやっているんだけど、ただ風景を撮っただけとか、iPhoneの動画フォルダにあるものにタイトルつけましたって言うだけ。
一昨年くらいに動画編集ソフトを手に入れてテロップつけたりはしていたのだけど、あげる動画はなんとも微妙な内容。
通勤中の車窓から撮ってみたり動画編集の練習的な動画ばかり。正直自分でも何をやっているのかわからなかった。
やっぱり素材が大事。(料理みたい)
いくらエフェクトかけようがテロップをつけようが写っているものや出ている音声に何かしらのフックが必要。
どうがの再生を続ける判断は開始5秒で決まるといわれる。自分があげた動画に再生を促す要素はなかった。
質より量とはよく言うかけれどある程度の質はやっぱり必要。そこに気づけた。
幸い僕にはバイクがあり、形ばかりのツーリングチームがある。これを形にしようと思った。
動画を撮ると言うコジツケでツーリングにでて、あわよくば見て喜んで貰えたらいいし、当の本人である僕が幸せだ。まずは自分が楽しんでしまおうと思った。
気が向いたら見てやってください。100万回くらい。
マコなり社長の新サービス「UNCOMMON」について語る方々に思うこと。っていう話。
転職できなければ全額返金を謡うエンジニア養成スクールTECH CAMPを運営する、株式会社div。そこから新サービス「UNCOMMON」がリリースされた。
結果を出せるビジネスパーソンを作り出すオンライン型の学習コンテンツ。
人気のYouTuber社長が手掛ける新サービスということもあり、話題沸騰中。
人気者であれば喝采を受け、批判も集まる。
そんな様子を観察しました。
「UNCOMMON」
有名人なので反響は広く集まり、その分多種多様な意見が飛び交っている。
こういう時に特段目についてしまうのは批判コメント。
中には誹謗中傷ともとれるものもあったらしく、休止中だったYouTubeチャンネルで本人からの反応も出た。
僕のような下の下凡人が動画をあげようともそよ風すら吹かないのに、法に触れる反応、またそれに対する威嚇をしなければならない有名人。UNCOMMONのランディングページにある通り、確かに普通ではない。
世間に影響を与え、人気になればその仕事が多くに人の目に留まる。
当然アラを探す奴や、面白がって悪口で便乗する奴も現れる。
個人的だけれど、今回のサービスをうさん臭く見てしまうひとが多く出ることはしょうがないことだと思った。
高価値を掲げるインターネットサービス
今回たたかれやすいと思ったのは、「自信を持って売り出しているけれど内容が明かせない。だって内容そのものがサービスだから。」ということ。
これは残念だけれどうさん臭く見える人が多そう。
ググる習慣のない人は確認しないし、習慣ついている人ですら確認できない。
どんなに価値があってもコーチングは受けてみないとわからないのでこれはしょうがない。
ちなみに体験リポート動画があったので参考に。
自己研鑽とか自己啓発っていつでもうさん臭いもので、結果を出すにはそれぞれの背景があるのでしょうがないことだと思うんだ。
だから、マコさんの最大の欠点はそれを商品としてしまったことだと思うの。
叩かれることを前提として、反論は受け止めていければなかなかかっこよかったと思うんだ。
本人も「アンチはファン。批判はファンレター。」的なこと言っていたし、それはめっちゃ正論だと思う。
参考は以下。
批判は受ける。本当に怖いのは「無視」。
マコさんが法的措置を的なことを言っていたのが割と残念。
彼なりに自分の会社の従業員を守るためだとは思うんだけれど、放っておいても従業員には気概が加わることはなかったと思う。
僕は傍から見ているのでそう思うだけだから、知らないところで実害が出ているかもしれないのでそこはわからない。
そうだったとしても、マコさん。自信を持って。大丈夫だから。
っていう動画を撮りました。
建築業の良くないところの集大成に出くわす、しかも頻繁に。っていう話。
まったくもってできていない。
新年に入ってからというもの、時間の使い方がさらに下手になっていて、書く時間が無い。
昨年末に始まった現場がなかなか厳しい。割とよろしくない作業員が入ることになってしまっていて図面を見て作業することができない人たちだった。
そこまで大きい現場ではないけれど、作業をお願いする人たちによって状況は控えめに言って「最悪」になった。
建築現場はまだまだ属人生がかなり高い状態。材料がよくなったのもあり、仕上がってしまえば綺麗になってしまうのだけれど、そこまで行く過程に差が出てしまう。
最終目標である図面を理解できていなければ工事は進まないし、全体的なフロー工程を台無しにしてしまう。
内装業者として仕事を請けている弊社は、管理はすれど施工を教えるわけではない。
自社で施工せず、施工業者に仕事を請けてもらい、全体的な工程の把握、材料・数量の積算をして日々の工事のすり合わせは施工業者にお願いしている。
普段、請けてもらっている会社が入っているときはとても心地が良く仕事ができる。
現場乗り込み前の打ち合わせ→材料納入→日々の作業→若干の調整→完了
現場に顔を出しても「何しに来たの?」てきな扱いを受けるほど。
僕がいなくても工事は進んでしまう。
今回の人たちでは施工のチェックをした段階でミスがかなり多かった。また、図面が理解できていないので進捗が激遅い。そもそも図面を見ていない可能性もあった。
施工の指導から入らなければならないのは正直、想定していなかった。
所属の会社に連絡しても「厳しく言っておきます」とのこと。意味が分からない。
こんなケースは珍しくなくて、「職人ガチャ」と呼んでいる。人を呼ぶ行為がギャンブルになるなんて自分がカタギとは思えない。
今回ばかりは手を引いてもらって、自社から技能実習生を入れることにした。
経験4年目の実習生の方が仕事が綺麗で速い。冗談のようだけれどこれが作業員の実態。何もできなくてもそこそこのお金がもらえてしまう。
なんだか生きている心地がしない。なう。
継続はチカラなり。だし、世に名前が出ている人は継続中なんだよね。って言う話。
お正月、やる気が起きない。
最近見たお勉強系のYouTubeで、「やる気が起きないからできないとか言うけれど、本業でやる気がないときに休んでいますか?やる気がなくてもやるでしょ?」みたいな話を聞いてグサりときた。
できないとかやりたくないとかじゃなく、やるんだよっていうところに持ち込んでいければなんでも結果はでるんじゃないかなって。
本業でやる気がないなりにこなしていれば、それなりの結果が出たりしている。
実は合格点ってそんなに高くなくて、ある程度やっていくうちに純度というか質がついてくるんじゃないかなと。
本業で何をやっていようと、こなしてきた中で培ってきた経験値でうまくいっているところもあると思う。
最近、何かで結果を出している人達も流れで一定まで持っていってから修正したり、いつでも100%じゃないんだなっていう所が見えてきた。
僕は本業に少し限界が見えてきてしまっていて、このまま上にも下にもいかないんだろうなーって思って来ている。
タイトルにある継続は副業なり遊びのところ。本腰いれかけているのはまだまだ今年からなので、結果も何もない。
メインブログで書いている途中ではあるけど、結果=収益としては年間20万円と少しくらい。税金の申告しないとなー。くらいって程度。
まだまだ惰性で続けるような状態ではない。
多分ここから数年かけて習慣化したり、効率考えたりしていく。今はまだ時間をかけて数をこなしていかなければならない。
誰かにやらされていることではないので辛くはないけれど、かなり億劫だしメンドい。
ここは趣味の場所だと割り切っているので、躊躇もなくスマートフォンで書いてしまっている。だから更新頻度が割と高め。気楽なのだ。
テキトーに書いてテキトーにアップロードしている。メインブログを始めたときに、ここを閉鎖しようとしたけれど、残したのは習慣化できたから。
書いていると落ち着く。
とりあえず、ここで途中公開してしまおう。リライト案件。
なんていう自由な空間なんだろう。
お母さん食堂に行動を起こした人の思いを知りたい。っていう話。
お母さん食堂。多分言いたいことは、ふるさとの味とか子供のころの家庭の味を示しているんだと思うんだ。
意味合い的に性別に特化した表現ではないと思うし、今大人になった人達が子供のころに食べていた家庭料理は母親が作っていたことが”多い”と思う。
もし、そうでない人がいるのであればそれは少数だろうし、過去に事実としてあったことなので今更変えられない。
僕が作ったネーミングではないのでなんとも想像の域を出ないのだけれど、ここで言う「お母さん」はキャラクターであって性別を示すために使われているものではないのじゃないかと思っている。
そもそも、母親の手料理の味を覚えている人が買うような商品ではない。
手軽にもう一品追加する為に買うようなものだ。
しいて言うなら、誰かの為に料理を作る=母性=お母さん、くらいなんだと思う。
いちいち噛みついている人がとても生きずらそうで……。
んで、整理すると、自分が嫌だと思った気持ちを、周りも同意見だとして署名活動をしている。ってところがちょっと嫌。
めちゃくちゃ太宰メソッドでちょっと気色が悪い。
んー。ジェンダーとかってそう簡単に使える言葉じゃないんだと思うんだけどなー。
やらなきゃならないことはゴミのようにあるのに やりたいことも夢のようにあるのに
なんだか月に一度は書いている僕の標語というかモットーというか、いつもの心境。
沢山やりたいことがあって、やらなきゃならないことがあって。それなりに歳をとっていくことで自由に行ける範囲は広がるけれど、それと同様にやらなきゃならない(思い込みも含む)ことも指数関数的に増えていく。そんな実感を覚えながら大人になっていく。
大人って何?みたいな思春期に思うような疑問に僕なりの答えがあって、
「大人になったんじゃなくて、子供でいられなくなった」
っていう言葉が大好き。
僕は今年42歳になり、自他ともに認める大人だ。おっさんだ。
子供も16になり、それなりに放っておいても生きていけるお年頃。これから僕ら成人の言う恋や愛情を新規で経験していく。少し心配だけれど、永遠に処女であるよりよっぽどいい。僕らがそうであったように浅はかなセックスもするだろうし、人生で一番が日々更新されていくんだろう。これは初老であるから過去を類推・邪推して思うけれど、あの頃の僕らもそれなりに真剣だった。そこは大切にしていきたい。
そしてそんな毎日を経て、いくらかの後悔や反省をしながら生きていく、自分の娘を筆頭にした若者たちを見守るおっさんでありたかったりする。
横道逸れ。
そんな僕たち枯れ始めた大人であれど、夢もあれば義務もある。それらに折り合いをつけていくことに関しては僕たちだって経験の浅い「子供」なんだ。
そういう気持ちはどこかにとどめておきたい。
これからもやりたい事にはなるべく挑戦していきたいし、やらなきゃならないことをぼかしながらもしのいでいきたい。
うまくやれることが大人で、これから始めることに関しては子供だ。
僕たちだって初心は味わえる。むしろ経験が足りないことの方が多い。
今年は自分のと言えるブログを立ち上げることができたし、フリーCADでお金を稼ぐこともできた。会社以外の収入も月に10万円くらいは手に入れられることが確認できた。永続は難しいけれど。
会社員になり、不自由を感じてきたけれど、実はまだ余白があることに気づいた一年だった。自分の伸びしろの確認と限界値の予想がこれまでより正確になった。2020年は有意義だったと思う。娘も高校生になったしね。
あ、一つ忘れていた。この年末にぎりぎりだったけれど証券口座を正式に作った。
正式にというのは、僕の中ではFX講座がそれに値しないからだ。
ここに少しづつお金を入れていって、何かしらの形にするのが来年の目標。それを達成するために禁煙外来にも挑戦しようと思う。僕は意思が弱いので自分で禁煙できない(断定)。
うん。何が言いたいのかと言えば、挑戦や実験に挑めなくなったり、やれない理由を並べるようになったらそれは「老い」のサイン。そういうことに抗っていきたい。
テロメア増やしたい。
「知っている」と「わかっている」 「思う」と「考える」 っていう話。
ちょっと概念的なところで申し訳ない。
昔から気になっていることで、「知っている」と「わかっている」、「思う」と「考える」この違いがとても大きく違っていて、ものすごく大切なことだと思っている。
まず、「知っている」
空が青いという事を知っている、郵便局の場所を知っている。
これは空を見て青く見えた。だから空は青い。
郵便局の前とを通った。そこに郵便局がある。
これが「知っている」という事。
経験や実際に感じたこと。表面的に見て、感じたこと。
そこに何かの努力や掘り下げはなくて、ただそういう情報を感じた、浴びたという事。
「わかっている」という事
「知っている」から掘り下げや考察、確認を経て「わかる」に変わる。
空が青い理由を知ってる。
郵便局がそこにある理由を知っている。
これが「わかる」という事。
実感として得たことを調べたり、なぜ?やどうして?の疑問の先に「わかっている」がある。
「知っている」から大きく踏み込んで、裏付け・バックグラウンドを知ってはじめて「わかる」に落とし込める。
受動的にも物事を感じるのが「知っている」で、能動的に物事を見るのが「わかってる」になる。
「思う」という事
何かを見て感想を持つ。これが「思う」。
感想なので本質というより、受けた本人の要素の方が多い。
ほんと感想。そこに何か得るものはあまりなくて、正しいわけでもない。
「考える」という行動。
これは「知っている」と「思う」の先にあるんだと思っている。
知って、思って、掘り下げる。それが考えるという事。
わりとこのプロセスをないがしろにしている人は多いと思う。
わからないことがあった時に、自分で調べる前に人に聞く。物を探す前に人に聞く。
うん。脳を使った形跡がない人はいるよね。
知る、思う。考えてわかるっていう流れは文字にしているとわかりそうなんだけれど、実際にやっていないと+、「思う」と「考える」この違いがとても大きく違っていて、ものすごく大切なことだと思っている。
まず、「知っている」
空が青いという事を知っている、郵便局の場所を知っている。
これは空を見て青く見えた。だから空は青い。
郵便局の前とを通った。そこに郵便局がある。
これが「知っている」という事。
経験や実際に感じたこと。表面的に見て、感じたこと。
そこに何かの努力や掘り下げはなくて、ただそういう情報を感じた、浴びたという事。
「わかっている」という事
「知っている」から掘り下げや考察、確認を経て「わかる」に変わる。
空が青い理由を知ってる。
郵便局がそこにある理由を知っている。
これが「わかる」という事。
実感として得たことを調べたり、なぜ?やどうして?の疑問の先に「わかっている」がある。
「知っている」から大きく踏み込んで、裏付け・バックグラウンドを知ってはじめて「わかる」に落とし込める。
受動的にも物事を感じるのが「知っている」で、能動的に物事を見るのが「わかってる」になる。
「思う」という事
何かを見て感想を持つ。これが「思う」。
感想なので本質というより、受けた本人の要素の方が多い。
ほんと感想。そこに何か得るものはあまりなくて、正しいわけでもない。
「考える」という行動。
これは「知っている」と「思う」の先にあるんだと思っている。
知って、思って、掘り下げる。それが考えるという事。
わりとこのプロセスをないがしろにしている人は多いと思う。
わからないことがあった時に、自分で調べる前に人に聞く。物を探す前に人に聞く。
うん。脳を使った形跡がない人はいるよね。
知る、思う。考えてわかるっていう流れは文字にしているとわかりそうなんだけれど、実際にやっていないと周囲からバレバレ。この癖が治らないとちょっとアレな人生になってしまうと思う。
同じことをしていても伸びる人とそうでない人
まったく同じ経験を積んだとしても結果としての成長が違うのはそういうところなんだと思う。
始める前に考える→実際にやってみる→結果を踏まえて振り返る
この手順だけで経験は3倍になってしまう。
吸収が速い人はそういうところが違うのだと思う。
実際の経験+計画と反省が加わえると人は劇的に変わる。
発想の違いやセンスは覆せないけれど、努力が無駄にならない。
少しのことの積み重ねが大きく人を成長させるんだなって思う。のです。
娘に専用のPCを用意したことでよかったこと。中古PCのススメ。
僕はお金が無いけれど、娘のものに関してはお金を使おうと心がげている。
なかなか思ったとおりのものは用意できていないけれど代替するものを考えるのは楽しい。
自分で一番よかったものはPCだった。
ゲーム機やスマートフォンは子供が欲しがるものなので比較的だれでも渡していることは多いと思う。だけれど遊びだけに使うようなものはあまり好きではなかった。
小学五年生の時に専用のPCを。
専用でPCを用意するなんて金額がかさむと思われがちだけど、探せば割と安く見つかる。
娘用に買ったのがこれ
[http://
:title]
何を隠そうWindows7。これにハードオフで買った1,000円4:3のモニター。
クソ過ぎる環境。
買ってみたら何かと不具合はあったけれど、マインクラフトの生配信に参加したりそれなりに活躍したようだった。
そんなに高性能ではないという事を自分で理解してそれなりの工夫をしながら使っていた。高校に入って学校用のMac boock airを持つまではこれがメイン機だった。
自分の持っているものがどれだけのものか、どれだけ動くのか気づいていたようだったので結構な収穫。
うん。良くないものを使っていると良いものが欲しくなっちゃうよね……。
高校に入って専用のWindows機を買い替え。
やっと買い替えた。しかもそれなりに動くゲーミング。
こちら
お父さん、がんばったよ…。これにまたまたハードオフで手に入れたLenovoのモニター。今回は16:9の19インチで4,400円。
世間的にはまったく高価ではないし、今の性能ではちょっと物足りない。
譲れなかったのはFPSがそれなりに動くということ。
お金持ちならさらっと新品で変えてしまうグレードなんだけれど、僕にはこの金額でも背伸びして購入。
動いているところを見せてもらったけれど、それなりにちゃんと使えている様子。
本人の感想としては「やりたかったゲームがちゃんと動く」とのこと。しばらくはこれでよさそう。
僕のうれしさと娘の満足度はいいとして、しっかり探せば安くゲーミングが手に入ってしまう。そしてグレードを落とせば安くPCが手に入ってしまう。
いい時代になったよなー。
こっちでも書いているので覗いていってくださいー。
寿司打が一ミリも面白くない理由。
時間を決められて点数を付けられるのって苦痛しかない。
焦り時間に追われたひっ迫感が単にストレス。分間何打とかそんなの時間の節約というより今使っているキーボードの慣れでしかない。ラップトップなら買い換えたらリセット。そんなのが能力とは思えないんだよね。それでもあたかもタイプ速度が命的な状況が嫌。
キーボードは一つのメーカーが独占してずっと同じ機種を作るべき。
願う事ならキーの一つ一つをめっちゃ小さくしてほしい。すべてのキーが遠すぎる。うんこ。
練習
タイピングの連枝于ウイとしていろいろ書いていこうと思うここでは種上性をする意事もなくただただだらだらと書いていってそもそももじとしRT恵那T李建っているかそれを検証石ヨプと思う。ブラインドタッチなんてできやしないので。ちょこRっとこキーボードをみつつ敵ちゃ言う宇Yに対尾ピングしていこうと。なう、宮東連すらうまく浮いてない自分にけんをかんをういだきつつ、ふぃおれどけも子に時間に僕が耐えられるかの実験もうむり
ブログタイトル変えましたよ。
メインとサブを同じタイトルでやっている事に違和感を感じたので変えました。
だからどうしたと言われても困るのだけれど、とりあえず変えた。変えたんだよ。
変えたのはブランドでは無いけど場所の違いを出したかったから。
ここに書いてある事なんてまったく意味のない事なんだけれど、それでも書いてみたい、書いていこうと言うちょっとした決意の表明だったりする。
ここは収入云々を抜きにして、好き勝手に書いてある事にアクセスがどれだけ集まるかの実験。そう言う場所にしたいと思っていたりする。無料のブログアカウントなので勝手にやらせてもらいたいなと思っている。
だからアクセスが集まれば嬉しいけれど、集まらなくても全くストレスにはならない。嘘だけど。読んで欲しい気持ちはあるけれども。
ブログというかインターネットのストレージを無駄に消費するような人もいても良いのかなっておもっているので、ここはやめない。と思う。
前にも書いたとは思うけれどタイピングの時間が好きで、早くはないしむしろ遅い方だとは思うけれど文字を打っている時間が大好きなのだ。誤字脱字オーライ。Don't来い(来るな)。
こんなに優れたサービスを無料でで提供してくれるはてなに感謝。僕はこうやって週に何日か世界のストレージを無駄に浪費する。ごめんね世界。
僕と世界が平和でありますように。かしこ。